がまんしないと、どうなるか。

がまんしないと

 

孤独や空虚を直視しなければならない状況に陥る

 

 

がまんしないと

 

どうしても失いたくないものを、失う

 

 

 

 

そして

 

がまんしないと

 

 

愛されていないと思っていた自分は

実は十分愛されているし、

愛したいのに愛せないと思っていた人のことを

 

実はとても愛していたことに 気づく

 

 

 

 

がまんとは、努力。

 

そして

 

クリシュナムルティ曰く

 

努力とはあるがままから気をそらすこと。

 

 

 

 

 

 

苦しくても悲しくても。

 

その気持ちを覆い隠すことは

 

そこから逃れるための努力は

 

しなくてもいいんだよ。

 

 

 

 

 

あるがままは、いつだって

 

美しく、

 

誰にとっても、最高に優しいのだから。

まさか、、まさか!

あっ、大変、何か思いついてしまった!

 

私のことを非難し続けるひと、

 

その人もまた

 

私の、最高のサポーターなんじゃないか、、、

 

まさかね、まさか、、、ね

 

 

 

 

悪い人なんていない。

子どものころから、

 

悪いひとなんて いない

 

と、思っていました。

 

 

 

意地悪するひと

 

騙すひと

 

戦争するひと

 

人を殺すひと

 

 

 

 

みんな、

 

困っているひと。

 

困っているなら何をしても良い

 

ということではないけれど

 

もともと悪い、というひとは いない

 

 

 

 

、、、という、つぶやきでした。

感情は、じぶんではない、ということ。

お久しぶりすぎて

 

状況が変わりすぎて

 

何から書いていいのやら

もはや、わからないので。笑

 

 

 

最近、思っていることを。

 

 

 

 

「感情は自分ではない」

 

 

ということ。

 

 

 

感情は、単なるナビゲーションシステム、とおもってます

(この言葉自体はよく言われていること。ま、結局、受け売りです。悪しからず。笑)

 

 

つまりは、

 

 

今ここですよー

 

ちょっと道外れました

 

あってます、そのままです

 

 

という、お知らせ。

 

 

えーつまり、大きな意味では自分なんだけど、笑

 

でも、ナビこそが自分だ、とおもうと、つらい。

 

「こころの問題」

 

って、ナビをそんなにフォーカスして、詮索しなくてよいと、私は、おもう

 

 

 

嫌なきもち

苦しいきもち

人を嫌うこと

憎しみ

 

 

出てきて、当たり前。

ナビ、良くはたらいてます。

 

もちろん、道を進むと(物事が進むと)

ナビのお知らせは、すぐ変化します。

 

 

 

そう、ナビが色々言ったからって、

 

それはホントの「自分」じゃないよね、

 

 

 

と、いいつつ、

 

感情はパワフルで

 

罪悪感やら劣等感やら

 

ナビにぐるぐる惑わされるのも、私の日常。笑

 

 

 

 

じゃ、目的地は、どこ?

 

そもそも、そのナビ使ってるのは??誰?

 

 

 

 

そう、ナビを使っているひと

 

それが、きっと

 

「自分」

 

なんだよね。

 

 

 

 

そのことを、想い出す時間

 

そして、想い出す、きっかけ

 

それが私にとって、とてもとても

 

大切な、ことなのです。

 

 

 

欲張りいうと

 

このblogで

 

そんな時間ときっかけをプレゼントできたらなあ、

 

なんて、おもってます

 

 

 

今日も、泳ぐぞ〜

 

 

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レトロすぎて

大好きすぎるプールにて

 

 

 

 

 

おはよう、白い朝。

今日は一番下の息子を保育所に預けて仕事しようと思ったのに、息子発熱!昨日の夜もぐずぐずして寝られず、眠い朝です。

 

子どもとの暮らしはストレスフルで…した。

思い通りいかないことばかりで。

過去形なのは、今はそうでもないからです。

でもストレスフルな時から、想像以上の楽しいこと、嬉しいことにも溢れています。だから差し引き大幅にプラスだったのでは有りますが。

 

それに子育てに関しては、こんなに感情を揺さぶられること、他になかなかないよなあ、とも思います。

 

心配は要らない、

と分かっていても、子どものこととなると妙に心配してみたり。

 

子どもといて、ストレスフルになること。

 

それはつまり、自分の中の眠っていた恐怖が顔を出すのです。

ただひたすら、お母さんに認めて欲しかった小さな小さな私が…

 

 

 

子育てが苦手と、思っていました。

 

子どもと向き合う

 

つまり自分と向き合うことが。

 

それが、

 

自分のことが好きになってきて

自分のことが信じられるようになってきて

 

親に対しても、

この両親を選んで生まれて本当に良かったと思えて

認めてもらえなかったと思っていた母親にも産んでもらえただけでラッキー!!と思えて。

 

 

 

そしたら

子どもたちに腹が立つことも、ぜーんぜん

なくなってきました。

 

フラットな目で

ただただ可愛いなあと、思えるようになってきました。

 

それが良いのかどうかという話ではなく。事実として。

 

 

 

 

おそらくは離婚して離れることになる3人の子どもたち。

 

その日まで(あと何年かな)、どんなふうに関わってゆこう。

 

でも離れても、ずっと心のサポーターでいることに変わりはないのだけどね。

 

さて、どんな関係を築いてゆけるかな

 

 

楽しみ、たのしみ。

 

きらきら。

またも、呟き。

 

 

 

私はすこし、頭がおかしいのかなとも、おもう。

 

子どもたちは可愛くて愛しくて

夫も優しくて

素敵で快適なお家に住んで。

 

なのに、離婚して子どもたちと離れて暮らしたいと思うなんて。

 

 

振り返って10年程前、

 

結婚する時、離婚したいなーとうっすらと思っていた

「結婚なんてさ、バンド結成みたいなものでしょ。だめだったら解散すれば良いよ〜」

と言っていたのは、結婚をしぶる(笑)彼への言葉と同時に、自分にも言っていたのだ。

 

 

や、そもそもが。

 

高校生くらいから、離婚に憧れていたのだ。(笑)

 

 

だって私が心から「素敵♡いつかこんな人になりたい!」思えるような大人の女の人は、みんな離婚経験者だったから。

 

 

離婚は、大変。

 

思ったよりも、本当に大変…。

 

家族のこと好きだし、居心地良いなら、なおのこと。

 

 

 

でもね、私の性質として、未来が流れ込んできてしまうのだよー

流れ込んできた新たな人生にワクワクすることを押さえきれないのだよー

 

 

もちろん、悲しい思いも辛い思いもすること確定なのに。

 

 

まあ、しばらくは、ほっておこうっと。

 

 

私のことだから、しばらくってどの位か分からないけれど。(笑)

 

私が本当に子どもたちに伝えたいこと。

 

 

いかなる理由と困難があろうと

 

自分の魂が求めることを

 

諦めなくても良いのだよ。

 

 

 

 

魂が求める道に進むこと

 

それが、愛の道だってこと。

 

 

 

自分の背中で、示してゆきたい。