忍耐って

がまんすること

(結果をコントロールするために努力すること)

 

は 忍耐ではない。らしい。

 

 

 

忍耐とは

 

自分が正しいとおもうことを

 

誰に反対されても

 

誰に馬鹿にされても

 

誰に批判されても

 

し続けること、かなあと、おもう。

 

 

 

戦時中とかなら考えを表に出しただけで殺されちゃったりするから、大事にあたためておくのも、行動のひとつだね

 

 

 

忍耐、はじめました

正論という凶器。

 

正しさは時として

 

凶器になる。

 

私は、そう思っている。

 

 

 

 

そして正論の中の正論、

 

ものすごい凶器が、あるのです。

 

 

それは

 

 

「自分で決めたことでしょ」

 

 

これはもう、ザックリ、一撃で、相手を倒せる。

 

 

だから、この凶器は、あえて使わず

 

まずは相手の気持ちを聴くことから、はじめよう

 

 

 

 

この凶器を使って、

 

一撃で相手を倒し

 

はじめから分かりきっていた勝利を見事収めた先に

 

 

 

相手を傷つけたことが

 

自分にそのまま返ってくる、

 

そんなことを知ったのです。

 

 (返ってくるも、また良し!なんだけど。)

 

 

 

だからまずは。

 

相手の気持ちを聴くことから、

 

はじめよう。

 

 

 

(特に、子どもに対して!要注意!)

 

がまんしないと、どうなるか。

がまんしないと

 

孤独や空虚を直視しなければならない状況に陥る

 

 

がまんしないと

 

どうしても失いたくないものを、失う

 

 

 

 

そして

 

がまんしないと

 

 

愛されていないと思っていた自分は

実は十分愛されているし、

愛したいのに愛せないと思っていた人のことを

 

実はとても愛していたことに 気づく

 

 

 

 

がまんとは、努力。

 

そして

 

クリシュナムルティ曰く

 

努力とはあるがままから気をそらすこと。

 

 

 

 

 

 

苦しくても悲しくても。

 

その気持ちを覆い隠すことは

 

そこから逃れるための努力は

 

しなくてもいいんだよ。

 

 

 

 

 

あるがままは、いつだって

 

美しく、

 

誰にとっても、最高に優しいのだから。

悪い人なんていない。

子どものころから、

 

悪いひとなんて いない

 

と、思っていました。

 

 

 

意地悪するひと

 

騙すひと

 

戦争するひと

 

人を殺すひと

 

 

 

 

みんな、

 

困っているひと。

 

困っているなら何をしても良い

 

ということではないけれど

 

もともと悪い、というひとは いない

 

 

 

 

、、、という、つぶやきでした。

感情は、じぶんではない、ということ。

お久しぶりすぎて

 

状況が変わりすぎて

 

何から書いていいのやら

もはや、わからないので。笑

 

 

 

最近、思っていることを。

 

 

 

 

「感情は自分ではない」

 

 

ということ。

 

 

 

感情は、単なるナビゲーションシステム、とおもってます

(この言葉自体はよく言われていること。ま、結局、受け売りです。悪しからず。笑)

 

 

つまりは、

 

 

今ここですよー

 

ちょっと道外れました

 

あってます、そのままです

 

 

という、お知らせ。

 

 

えーつまり、大きな意味では自分なんだけど、笑

 

でも、ナビこそが自分だ、とおもうと、つらい。

 

「こころの問題」

 

って、ナビをそんなにフォーカスして、詮索しなくてよいと、私は、おもう

 

 

 

嫌なきもち

苦しいきもち

人を嫌うこと

憎しみ

 

 

出てきて、当たり前。

ナビ、良くはたらいてます。

 

もちろん、道を進むと(物事が進むと)

ナビのお知らせは、すぐ変化します。

 

 

 

そう、ナビが色々言ったからって、

 

それはホントの「自分」じゃないよね、

 

 

 

と、いいつつ、

 

感情はパワフルで

 

罪悪感やら劣等感やら

 

ナビにぐるぐる惑わされるのも、私の日常。笑

 

 

 

 

じゃ、目的地は、どこ?

 

そもそも、そのナビ使ってるのは??誰?

 

 

 

 

そう、ナビを使っているひと

 

それが、きっと

 

「自分」

 

なんだよね。

 

 

 

 

そのことを、想い出す時間

 

そして、想い出す、きっかけ

 

それが私にとって、とてもとても

 

大切な、ことなのです。

 

 

 

欲張りいうと

 

このblogで

 

そんな時間ときっかけをプレゼントできたらなあ、

 

なんて、おもってます

 

 

 

今日も、泳ぐぞ〜

 

 

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レトロすぎて

大好きすぎるプールにて

 

 

 

 

 

おはよう、白い朝。

今日は一番下の息子を保育所に預けて仕事しようと思ったのに、息子発熱!昨日の夜もぐずぐずして寝られず、眠い朝です。

 

子どもとの暮らしはストレスフルで…した。

思い通りいかないことばかりで。

過去形なのは、今はそうでもないからです。

でもストレスフルな時から、想像以上の楽しいこと、嬉しいことにも溢れています。だから差し引き大幅にプラスだったのでは有りますが。

 

それに子育てに関しては、こんなに感情を揺さぶられること、他になかなかないよなあ、とも思います。

 

心配は要らない、

と分かっていても、子どものこととなると妙に心配してみたり。

 

子どもといて、ストレスフルになること。

 

それはつまり、自分の中の眠っていた恐怖が顔を出すのです。

ただひたすら、お母さんに認めて欲しかった小さな小さな私が…

 

 

 

子育てが苦手と、思っていました。

 

子どもと向き合う

 

つまり自分と向き合うことが。

 

それが、

 

自分のことが好きになってきて

自分のことが信じられるようになってきて

 

親に対しても、

この両親を選んで生まれて本当に良かったと思えて

認めてもらえなかったと思っていた母親にも産んでもらえただけでラッキー!!と思えて。

 

 

 

そしたら

子どもたちに腹が立つことも、ぜーんぜん

なくなってきました。

 

フラットな目で

ただただ可愛いなあと、思えるようになってきました。

 

それが良いのかどうかという話ではなく。事実として。

 

 

 

 

おそらくは離婚して離れることになる3人の子どもたち。

 

その日まで(あと何年かな)、どんなふうに関わってゆこう。

 

でも離れても、ずっと心のサポーターでいることに変わりはないのだけどね。

 

さて、どんな関係を築いてゆけるかな

 

 

楽しみ、たのしみ。