「ダダ漏れだからね♡」

 

 

 

改めて、ひとつふたつ過去記事を読んでみると

 

 

あーーあ、こんな事書いちゃって…って、思いますね…

 

 

これは色々、私に対する心配やら批判やらあっても仕方ないなぁ

 

でも、書く事自体が好きなんだから、仕方ないです。

嫌われる勇気、再起動、の心持ち。

思うままやって、嫌われたり好かれたりしていた高校時代のあの私のエッセンスを取り入れるのだ!(思春期には戻れないし戻りたくもないけれど、青春のエッセンスを、ね♡)

 

 

 

 

以前鼻息荒く宣言した「運転辞めます」についてですが、最近どういう訳か車の運転がそこまで嫌ではなくなりました。

 

 

理由のひとつは、誕生日プレゼントにオットがセカオワのCDをくれたので、それを聴いていること、らしい。…単純…。

セカオワ解禁は、私にとってはなかなか勇気のいることでした。でも、ブレーメン(動物殺処分ゼロプロジェクト)は心底素晴らしいし、彼らのやっていること、姿勢には、本当に尊敬の念を抱いています。

 

 

だから、今までちょっとザワッとして聴けなかった類の音楽(Jpop苦手なの…)を聴けるようにさせてくれたセカオワに、感謝です。

 

まさに恋をするって、こういうこと。

今まで苦手だったものを、恋することで自分の中にすんなりと受け入れる。

そーだ、恋の醍醐味って過去記事があったな、

 

 

そしてたったそれだけで運転が楽しくなるなら、好きなCDどんどん買おうっと

CD買うブロックを外すのです(次々増えてもしまう場所ない、お金の無駄、というブロックがあった)

 

 

 

 

話が逸れました、

 

車の運転が以前ほど苦痛でなくなったのには、思うにまだまだ理由が有ります

 

 

もうひとつは、最近やりたいことがやれている感じがしている、ということ。

やりたいことが他に有るのに、送迎なんて!という不満があったことに気がつきました。

やりたいことをやる(主に仕事)時間を自分のために確保してあげれば、ある程度は運転も送迎も楽しいのだな、と。

 

具体的に、やりたいことのために私がしていることは

 

1歳児を保育所の一時預かりに頻繁に投入(お金の心配に加え、「今が可愛い時なのに」思い込みでなかなか頻繁に預けられなかった)

 

そしてオットに子守や家事を頼んで、仕事、遊び!

子どもたちを預けて友人宅へ泊まりに行く、とかね。

最高に楽しい!

 

 

そう、やっぱり、我慢をやめること。

よき母(←そもそもなんでしょうね、ソレ。幻想、思い込み!)をやめること。

恐る恐るですが、徐々に板についてきました。

 

「運転、送迎」の陰に隠れていた、我慢。

 

 

 

オットのお誕生日に書いた手紙のこと、実践されてきている感じがします。

 

そして、オットとの関係も、やっぱり良くなってきたように思います。

少なくとも、オットに対する感謝とか、単純に好きだな〜って気持ちは増えました。笑

 

本当に良かった、下手ながらも(下手すぎて変な方向に振れすぎたり、)感情出す練習はじめて…

 

 

 

 

 

あ、タイトルの

ダダ漏れだからね♡」は、友人の言葉で、最近聞いて嬉しかった言葉。

 

 

実は

我慢していること

嫉妬していること

恨んでいること

 

実は

誰かを好きなこと

感謝していること

 

人って、口に出さなくても、いや、口では別なこと言ってても、実は全部ダダ漏れなんだって

 

そんなことを聞いてしまったら、

なんだか、嬉しい気持ちになりました。

 

どうせダダ漏れならば、

安心して本音を言っていける、と。

 

そして、本音を言えば言うほど信頼されるということも腑に落ちた

本音を言わなければ言わないほど、相手は確実に違和感をキャッチするということも。

 

 

 

 

 

なーーんだ、

 

自分のままで、良いのだ、結局。

 

 

世界は、やっぱり、優しい。

 

 

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そして、世界はこんなに美しい …