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鎧を脱いで。

 

 

行ったり、少し戻ったり。

季節が少しずつ、冬に入ってきました。

霜の降りた畑を見ると、霜柱を探しては踏み歩いた小学校の通学路を思い出します。

その頃より今の方が、じつにのんびりと、田舎に暮らしているなあなんて思いながら。

 

 

 

さてさて。昨日。

友人から来たメッセージに、何気なくこんなことを返信しました。

 

結婚なんて、してもしなくても良いじゃあないか

好きなひとと触れ合って、およそ存在する全ての感情を体験して

そういうことこそが、生きるってことで、人間に生まれた意味でもあるとおもうよ

 

と。

 

今になって、ジワジワ、自分のことばに自分で感動しています。(笑)

人にアドバイスしたくなるときは、実はそっくりそのまま自分に対するアドバイスになるとはよく言ったものだ…

 

 

 

で、 何故に感動かというと

 

 

 

昨日怒っている時にふと、

「この怒りの感情とも出会いたかったんだなあ、私」

と思ったとき、この先、ネガティヴな感情と出会うことが少し楽しみになった

 

 

ということも、関係しているのかも知れません。

 

 

 

 

 

私たちは

…いいえ、もう、「私は」としておこう、

 

私は

様々な思い込みの鎧を着ていて

 

それは、

女は男を立てなければならない

人に迷惑をかけてはならない

お母さんは子どもの気持ちを受け止めてあげるべき

こまめにお風呂に入り、身体を清潔に保たなければならない

限りあるエネルギーを無駄遣いしてはならない

お金はイザという時のために少しずつでも貯蓄すべき

 

なんていうものから

 

働かざる者食うべからず

 

なんてものまで。

 

 

ベキネバは

さもないと◯◯になる

ということへの怖れから来るもので

 

怖れのパワーは凄まじく、出来ない自分にバツを付けることへ繋がって、自信がなくなることで更に怖れが大きくなるというループな訳なのですが

 

そのループを「不幸のループ」として、それは嫌だからとにかく鎧を脱いでゆこう!なんて、

鎧にさえバツをつけて。

 

 

 

だけど、そんな鎧を着たのは

ネガティヴな感情を体験したくないという目的があったからで

 

確かに、少なくとも少しは、その鎧が、自分を守ってくれていたのです。

 

ベキネバやってると、少なくとも、あまり人に非難されないし。

オマエ、最低だな!!

なんて、あまり言われない。(笑)

(ただし、自分自身から文句を言われる→つまり他人への文句が出て来る、ということは多々ありますが)

 

 

 

 

 

だから、鎧よ今までありがとう、

ひとつまた、脱ぐよ、

 

およそ全ての感情を体験すること

それこそが、いまここに生きてる幸せなのだって気づいてしまったから。

 

 

 

あー

 

 

物心ついた時から

カルマか何だか分からないけれど

自分の怒りに振り回されて時にヘトヘトになっていた私が

 

人を好きになり

 

世界のいろんなモノをを好きになり

 

徐々に怒っている自分を許して

 

そして怒れる自分にさえもに感謝するようになって

 

 

ああ、よかった、

 

 

人生は楽しい。

人生は、安心。

 

 

 

乱文、失礼しました。

 

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一歩、いっぽ。