本当の自信のつけ方。I

 

 

 

本当の自信て、どんな風につけたら良いのだろう。

 

 

小さな頃から、ずっと疑問でした。

本当に知りたかった。

 

 

 

だって頑張って人から認められたとしても(しかも私の場合、頑張ってもあまり成果は得られないのだけど)、どこか虚しい。頑張ると疲れる…全然自信がつかない。

 

 

 

そんなモヤモヤするときがありつつ、

なぜか、なぜだか、全てがとっても上手くいっちゃって幸せな時もいっぱいありつつ。

 

 

 

 

ここにきて、色々な謎が解けはじめています!

 

 

 

 

私の場合、そもそものセルフイメージが低いのですが、そのお話からさせて下さい、

 

それは、物心ついた頃に母親が精神的にも肉体的にもボロボロだった時期だったことに由来しているのだと思いあたりました。

 

 

 

 

母親を幸せにしてあげられない私には、力がない

 

 

 

 

さらにいい子に、できる子になって母親を喜ばせようとがんばるも…

 

 

 

こんなにがんばっているのに母親を幸せにできない私には、やはり力がない

 

 

 

 

や、無理でしょ!(笑)

てかアンタ(自分だけど)にカンケーないし!(笑)

 

って感じなのですが、子どもは本気だからスゴイわ〜

 

 

そんなわけで当時そんなふうに意識は勿論していなかったのですが、「力のない私」のセルフイメージが着実に作られたのでした。

 

 

 

 

「こどもが親の不幸は自分のせいだと思う」

これはよく知っていたことですが、

 

先日聴いた、心屋仁之助さんのPodcastで、ようやく自分のこととして落とし込められました。

 

 

 

と、いうより、大発見!でした。笑

 

 

 

「私には力がない」と思っている子が壁に当たると、果たして、どーなるか…

 

かの植松電機の植松努さん(好きです!)

https://m.youtube.com/watch?v=gBumdOWWMhY

も仰っている

「どーせ無理」って、人から夢を奪う黒魔法の言葉を、なんと自分自身に、かけちゃうのです!

 

 

 

「どうせ私には無理」を使いたくないときは(☜注:無意識です)例の定番、「私は悪い子だから」を使い、納得していたのです。

 

 

 

 

 それは、すべて、

 

母親を幸せにしたい

母親を嫌いになりたくない

 

という、こども心なのです…(涙)

 

 

 

 ってだから無理だし!(笑)

なんだい、勝手だなぁ!こどもって!(笑)

 

 

 

 

そんな私が身をもって気づいてしまった、本当の自信のつけ方とは。

 

 

Ⅱ  へ、続く!

 

 

f:id:miatoya:20161003095203j:image

ナナカマド、子供の頃から好きなんだよなー

可愛い赤い実♡

 

30過ぎたらブスは自分のせい。

 

 

 

熱が出ました。

それも、高熱。

頭蓋骨は、成る程、確かに幾つかの骨から成っているのだなと実感できるような、ジリジリギシギシとそのひとつひとつが軋む様な頭痛。

今朝は大分良く、半分くらい、カラダの調整終了かなぁ、という感じです。

ホッ

 

 

 

 

前回の記事の続きで、さらなる個人的な発見があったのでメモしておきます。

 

なんと!

どちらかと言うと「嫌い」な上、明らかに「苦手」なことを、毎日平均2時間もしている…という事実!

 

 

 

それは、車の運転、です。

 

 

免許を取った時、「これを使うことは無いだろう…」と思ったのに!今や立派な、ヘビードライバー(そんな言葉ない?)

 

 

「だって」子どもの送迎なんです。

「子どもたちのため」(☜怪しい)

「なんとか工夫して楽しく運転できるように」(そこにエネルギーを使う?)

 

 

今日は都合よく寝込んでいるので、夫に送迎を依頼。

やった〜♡

…って、こんなにシンドイ思いしないでやらずに済ますことはできないのか。

 

 

 

…なんとかしますよ、自分のために!

 

コレ我慢していたら、また「家族から大切に扱われていない妄想」が時たまやって来るでしょう。

 

そんなの、家族にとっても迷惑だし、何より私が気持ち悪いし(胸がモヤ〜〜〜とする感じ)

 

やめる!

 

宣言します!

 

勇気いる〜!!

 

 

結果報告

…します(☜何故か弱気…笑)

 

 

 

 

さてさて、

30過ぎたらブスは自分のせい

とはよく言いますが

 

ホントだな〜

 

って、鏡を見て思います。

 

いかに

自分の顔を思いやり、労っているか、愛情向けてあげてるか、さらには自分とはどんな人間だと信じているか。

 

 

全部出てますね。

 

 

鏡に映る顔だけでは有りません、

うちの今の経済状態…

 

 

「貯金が遂に0円になりました」

 

 

夫からの報告が。

解約してしまった子どもたちの学資保険も月々のマイナス補填の為、あっという間に消え。

 

よくよく、自分の思い込みを表しています。

 

 

 

「絶対的ピンチに陥るけれど、何とかかんとか、それなりに幸せに生きていける」

 

 

それ、私の、ホントの希望かな。違うよなぁ。

 

 

 

 

 

顔もお金も、自分のせい。

 

 

「私ダメだなぁ」とさらに抑圧するのではなく、

 

「自分次第なんだから、ホントはどんな現実が理想?」

 

と、常に自分に問いかけてゆきたい!

 

 

 

ちなみに「ホントはどうしたい?」、おそろしい私の望みが出てきています。

 

勇気が出たら、メモがてら、公開します。

 

こわいこわーい!

 

 

 

 

 f:id:miatoya:20160930142446j:image

 

 

 

 

なんで泣かなかったの。

 

 友人に

 

あの時何で泣かなかったの

 

と、聞かれて

 

何で泣かなかったんでしょう?…私も不思議です

 

と、答えました。

 

 

 

 でもね、その時も人のいないところに行くと直ぐ涙が出てきました。

人前では、自動的に涙が制御されちゃうんです。

 

 

私は、そういう性分なんです。

 

 

 

 

 

昔はそんな自分のこと、可愛くないなぁ、とか、

人前で素直に泣ける人が羨ましいなぁ、とか思っていたけれど

 

今は、「これでも、ま、いっか」と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

前置きが長くなりました。

 

昨日大きな気づきがあったので、メモしておきたかったんです。

 

これは、今後、とっても役立ちそう!と。

 

困っているときは意外と冴えてるもので、神様からのヒントも受け取りやすくなっているなぁと思います、ありがたいことに。

 

昨日もそうでした、たまたまこんなヒントを見つけてしまったのです

 

 

得意で好きなこと→ドンドンやる

得意で好きでも嫌いでもないこと→その中で好きなことに繋がりそうなことやる

得意で嫌いなこと→やらない、やめる

 

苦手で好きなこと→人に頼む

苦手で好きでも嫌いでもないこと→対応する程度は可

苦手で嫌いなこと→やらない、やめる

 

 

 

 

そもそも。

最近、「家族から大切にされていない」と感じる私が居て。

ということは、私、まだ自分で自分のこと大切にしてないのー!?

やれることはがんばってるんだけどな〜これ以上、どうやってやれって言うの 状態でした。

 

そんな私でしたが、☝︎を読んで閃いてしまったのです。

 

 

 

 

 

あ!!!

 

好きだけど苦手なこと、得意になりたくて頑張ってた…

 

 

 

 

 

つまり「好き」ってところが、私が落ちた落とし穴でした。

「好き」なことはやるべし!楽しいんだから!

が、私の信条な訳で。

 

でも苦手だから、ツライ場面が出てくる→出来ない自分に駄目出しする、さらに「ツライ」と意識できてなかった時には病気になったり怪我をしたり。

あるよね〜

あるある。

 

 ばっさり、「人に頼む」(つまり「自分でやろうとしない」と、私は受け取りました)と目に飛び込んで来たのが、本当に良かった。

 

 

「好き」はそのままに、それを「得意」な人に「頼んで、もしくは任せて」、楽しみをそのひとと共有したら良いのだ、と。単純なことだよなと思いました。

 

さらに私が、「好き」で「得意」なことで稼いでお任せしたひとにお支払い出来れば、全ての人がハッピー!

となると、むしろ「苦手」なことしている間「得意」な人の仕事奪っているとも言えるなぁ…罪。(いや、罪なんて無いんだけど)

 

 

 

 

とはいえ、

言うは易し、

良いカッコしたがりだし、誰にも嫌われたくないし、ましてや頼み下手な私には、けっこうなチャレンジですが。

 

 

 

因みに

私の「好き」だけど「苦手」なこと、パッと浮かぶものは

 

 

子育て。

畑、草花を育てる。

 

 

楽しいし、頑張ってるんだけど、労力の割に上手くいかない。笑

 

頼む、任せる、

そして楽しみと喜びは共有する。

 

一歩、一歩。

 

 

 

 

近々、結果報告!

 

 

…出来たら良いなぁ…

 

 

f:id:miatoya:20160928110712j:image

gorgeous☆

 

 

 

 

新たな、楽しみ。

 

 

夫に

「みあちゃん(ワタシ)のブログ読んでると自意識がよく分かって読んでて嫌な感じがする」

と、言われてしまい

「そんならもう、私そのまんま出しちゃおうかな」

と思いつつも

「いやいや、自意識過剰な私も可愛いではないか」

とも思ってしまう、近頃めっぽう自分に優しい、私です。笑

 

 

 

 

 

 

で、本題。

 

 

お昼寝を、これでもか!というくらいにしてしまったので

(結果、長女のお迎え間に合わず)

そして現在、お決まりのように、眠くならず…

 

おかげでコソコソと本が読めてしまいました。

ラッキー!

 

友人から、「この夏一番のオススメ!」と押し付け…いや、貸していただいた本。

 

『読むだけで見えない世界とつながる本』

 

これが、面白いのなんのって。

 

 

思い返せば、中学生くらいの頃から、私のまわりには霊感がとても強かったり、いわゆるスピリチュアルなことが好きな人も多かったのです。

神奈川県藤野に越した時には一気に私の周り世界のスピ人口が増え

気がついた時には、自分もスピ世界の住人に。(笑)

 

だって、面白いんだもん。

だって、ホントのことなんだもん。

 

仕方ない!(☜何故かまだ、若干の抵抗が見られる)

 

今は子どもたちがシュタイナー学校と幼稚園に通っているので、本当に楽しいです。

 

 

 

 

話は戻って友人から借りた本の内容なのですが、

要するに、守護霊さんや天使さん、異星人や女神さんたちとコンタクト取ってみましょうというところから始まるのです。

 

始めの部分だけ読んでしばらく放置していたのですが、今日運転中ふと

「私も守護霊さんたちのメッセージ、受け取れるかな」

と、頭に浮かびました。

その時、対向車が来たので(☜滅多に対向車が来ない道)

「おっ、何か早速メッセージあるかな」とナンバープレートを見たら、

「1717」

でした。

 

「イーナイーナ!(☜語呂合わせ好き)、って、何が?笑」

と、ひとり心の中で突っ込んだくらいで、その時は過ぎました。

 

そして、さっき。

 

借りた本(見えない世界とつながる本)を読み終えて、著者のblogを何となく見てみると…最新の記事が

 

http://kanazawax.exblog.jp/26199988/

著者の『最近の驚愕のシンクロ「1717」について』でした…笑

 

 

 

つまり私の受け取ったメッセージは…

 

 

「はい、確かにいますよ〜」by守護霊

 

 

なのでした。笑

 

 

 

 

 

こういう出来事が有ると、

大人になるって、面白いなぁと思います。

 

世界の遊び方について

色々なことがわかりはじめる。

いえいえ、「思い出しはじめる」。

 

それは謎解きゲームのようであり

 

現代を生きる喜びそのものでもあると思います。

 

 

 

 

f:id:miatoya:20160922163919j:image 

☝︎また自意識過剰って言われちゃうかしら。

 

でも、自意識過剰ゲームも良いよね!

 

世界の遊び方に、「良い」も「悪い」もないのです。

 

 

 

 

 

 

 

あべこべ、だったりして。

 

 

 

最近、ふと、考えることが有ります。

 

天使と悪魔、

良いことと悪いこと

(そう思っていること)

 

全部、あべこべだったりして、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある時、自分の中の天使の声が囁く

「これやらないと、あの人が困るよ。人に迷惑ばかりかけ続けてたら、嫌われて、独りになっちゃうよ。独りにならないために、今これやっておこうよ」

 

 

同時に、自分の中の悪魔が囁く

「人が困ったっていいじゃん、やりたくないんだから、やらなきゃいいよ。」

 

 

 

今までは議論の余地なく、天使の声を採用して、行動していました。

(と、おもうけど…アンタに限ってそんなことあるかーーー!って反論いただきそう。まぁまぁ、聞いて♡笑)

 

 

 

 

 

だけど、本当はどうなんだろう。

 

私がやりたくないことやって、喜ぶ人がいるのだろうか。

そもそも、本当にその人は私がやらなかったことで、困ったりするのだろうか。

 

 

 

 

「そんなこと言ったら傷つけるよ。」

「そんなことしたら嫌われるよ。」

「そんなこと言ったら、呆れられるよ。」

「だから、ね?やめようよ。(もしくは、こっちをやろうよ。)」

 

 

 

 

…ホントかなぁ〜???

 

 

天使の声と思っていた声が

実は悪魔の声だったりして。

 

(ゴメンナサイ、「天使」と「悪魔」って、勝手にテキトーに使ってます、厳密なことではなく、イメージです○)

 

 

 

冷静に考えてみるればみるほど、あべこべな気がするんです。天使の囁きのような、親切に、私を思っているかに聞こえる言葉こそが、何を隠そう、私を追い詰めているのでは。

 

それにね、第一、人を傷つけることなんて出来ない、人を困らせることなんて、私には出来ない(誰にも出来ない)のだから。

 

 

 

で、多分なのですが、この心の中のことはまさに自分の周りに鏡のように映し出されているのだろうと思います。

 

親切な、助言をしてくださる方。

 

それ、ホントかなぁ〜?

 

(あれ、でも、最近全然いないや、そんな人。笑)

 

 

 

 

話は少し変わって。

 

夫と話していると、イライラします。

嫌な気分になります。

と、前にも書きました。

 

私のもともと持っているイライラを出させてくれて、「今してること、何か違うぞ」に気づかせてくれる、夫こそが天使なのかなと、思います。

(だからって、無理に仲良くしないけどね!へへん!)

 

嫌な思いさせてくれる人は、有難いなぁと、思います。

自分のこと、気づかせてくれる。

幸せへの道しるべとなってくれる。

 

 

そう考えると、親切な助言で追い詰めてくれる人もまた、有難い存在。

追い詰められたら、そこでも気づけるから。

 

 

 

 

 

全ては、私が気づけるようにとの計らい。かぁ

 

と言うわけで。

天使も悪魔も。

世界はやはり、信頼に値するのです。

 

 

 

f:id:miatoya:20160916162311j:image

 

十五夜の御月様。

綺麗でした。

色々満ちました。

 

諦めない。

 

 

突然ですが、作家さんのモノづくりが好きです。

作らなければ、そのひとは生きていられないような…

神様のお仕事のような、モノづくり。

 

 

 

だけど、普通のひとが普通につくったものも、とてもグッとくることが多々あります。

それはどんなものかというと

私は今まではそれを「愛情を感じるもの」と表現していたけれど、きっとこっちの方が、ぴったりという言葉を見つけました。

 

「幸せを諦めなかった跡が残るもの」

 

 

 

 

どんな状況にいても出来ることが、ある。

そんな風に、おもいます。

 

物質的に恵まれていても、いなくても

状況や環境に恵まれていても、いなくても

 

私たちは、幸せでいることを選択することが、出来る。

 

 

 

 

 

 

話は大幅にかわりますが、どんな状況にいても、と書いて強制収容所を思い浮かべました。

 

悲惨なことです。

 

(そんなことが、どうしておこるのかな。

私はきっと前に書いた「いじめの原因」と同じなんじゃないかなと、思います。)

 

でもきっと、きっとね。

そんな状況でも幸せを選択することは、出来るのですよね。

 

如何なる人も、他人の身体を傷つけることはできても、心は傷つけられません。

自分の心を傷つけることが出来るのは、自分だけ、なのです。

 

 

心は、いつだって自由だから。

自分が自分の心に、自由になることを許しさえすれば。

 

 

 

 

こんなことを書くのは、ちょっぴり心が不自由な気持ちがしているのかも知れません、今、私自身が。

 

人のせい、は、ない。

心は全て、自分の責任であり、

だからこそ、面白いのだと思います。

 

「責任」というと何だか重たいけど。

そして「人のせい」、は、決して「悪」なわけでもないけれど。

 

 

 

人間の可能性を信じたい。

自分の可能性を信じたい。

 

 

 

 

人も自分も、本当は、もっともっと、限りなく優しい存在なのだと

だからみーんな幸せになって良いのだと

 

 

何故か幼い頃からずうっと、そんな信念だけは、有るのです。

 

不思議。

 

f:id:miatoya:20160914040708j:image

 

今日はまとまりないなぁ…

でも書きたいことが書けて(ホンネに届いて)満足。

ホッと、ひといき。

 

 

保育園のお迎えに向かう車を運転しながら、ふと思う。

 

幸せって、つくづく、環境や物理的な条件じゃないよなぁ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が考える幸せの条件」なるものを手書きのお店の通信に書いたことがあります。

 

その1

「今」が楽しいこと

 

その2

未来に希望が持てること

 

 

 

今が楽しいは良いとして(これも意外と難しいのだけれど)

未来に希望が持てるのって、どんなときだろう

 

 

私の場合は、自分自身と繋がっている感覚がある時、未来に絶対の希望を見出せる、ような気がします。

 

 

それは、

うん、これでいいんだ、

という感覚。

 

 

で、それは必ずしも、状況が良いからそういう感覚になれるというものでもなく。(多分)たとえ人から嫌われていようと、本当に自分で自分の味方でいられたら、これでいいんだと思えるはず。

 

「本来の自分を生きている」感覚は、未来への希望そのもの、なのだと思います。

 

 

 

そして勿論

心からホッとしている時はほとんど、自分と繋がっていて、未来に希望を持てている感じがします。

 

という訳で。 

 

 

 

やはり、心からホッとすること、

まずはそれが一番大切なのですね。

 

f:id:miatoya:20160908212016j:image

 

自分だけの、安らぐこと、楽しいこと、気持ちのよいこと、たくさん見つけよう。

 

ひとりひとりが、毎日、心からホッとする時間を持つことができたなら

 

大袈裟じゃなく、世界は今より平和になると、私は思います。

 

ここで、いつものセリフ。

 

よし。まずは、自分から。

ホッとしよう。