知ってるよ、大丈夫。

 

いつの頃からか、

 

悲しい時に 悲しむ

 

寂しい時に 寂しさを味わう。

 

そんなあたりまえのことから

 

逃げていたのだと、

 

自分に対して

 

「悲しいんだね」

「寂しいんだね」

 

「でも、大丈夫」

 

って言って、寄り添ってあげることができてはじめて知った。

 

 

 

そんなことないでしょ!こんくらい耐えろ!

もしくは

全然平気でしよ、大したことじゃないよ

 

って、悲しくて寂しい自分にそういう風に言ってた。

 

 

 

自分に優しくしていないから、人(主に身内)からいくら優しくされても、

「わかってもらえてない!」

「話聞いてもらえてない!」

って思ってたんだな〜

 

優しさは確かにいつでもそこにあったのに、その時は受け取れなかったんだ…

 

 

 

 

しつこいようだけど、

自分に優しくしてはじめて、

自分に優しくしていなかったことが分かった。

 

渦中にいるときは自覚なし。

自分のことって、本当に分からないものなんだなあ

 

そして自分に優しくしてたら、

 

世界は劇的に、私に優しくなってしまった

(今までも、優しかったけれど、優しすぎてヤバイレベルに)

 

 

世界は自分の鏡って、本当だった…

 

 

そしてそして

これからもずっと、

あ!そうだったんだ、全然気づいてなかった!

 

ってこと、沢山出てくるのだろうな

 

 

 

 

人生、楽しみです。

 

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メリークリスマス!

 

 

「やってあげる」は奴隷宣言。

 

 

吹雪の中、弾ける笑顔で登校する高校生カップルをみて、キュンとした今朝ですが

 

昨晩は久々に夫とひとモメありました。

 

仕事が詰まっている私のところに、子どもを見てくれていた夫が、子どもが泣き止まないからと連れてきたのです。

 

で。

 

おい〜

子どもみるなら、責任持ってみてよ〜

ダメになったら私にホイ、とかやるから、

最終的にはお父さんじゃなくて私が良いーってなるんだよー

 

てな不毛なことを言ったならば。笑

 

赤ちゃんとか子どもをみるって、自分の思い通りにいかなくて奴隷になるようなものでしょ。疲れる時もあるよ〜

と、夫。

 

!!!

 

えっ、子どもといること、そんな風に思ってたの…!

んじゃ、子どもみなくていいよ…誰か別な人に頼む…

 

 

 

 

奴隷…

という言葉が、妙にに引っかかりました。

 

奴隷って、支配されていて、自分には自由がないってことじゃんか…

 

 

夫いわく、

子どもを見るのは楽しいし、ずっと一緒にいるとたまにイライラしちゃうということで、奴隷という言葉に深い意味は無い

 

そうなのですが、

 

 

とにもかくにも

私がめちゃくちゃその言葉に反応した

(私がそのような行動を夫にさせた)という現象、

これは何かがある…!

 

 

 

 

で、一旦忘れてたら、ある時

 

ふっと、浮かんだのです。

 

「誰かのためにやってあげる、は奴隷になることだ…」

 

なんだこれ??

と思いつつ、探していたものはこれだなと確信めいたものが有りました。

 

で、早速考えてゆくと…

 

 

そうかあ…

 

 

 

誰かからの感謝、承認を得るため

どこかでの所属を得るため

それから、罪悪感を解消するため

 

自分の純粋な欲求からではなく、 それらの目的のために行動する全てのことは

 

目に見えない(あるいは、見える)何か(あるいは、誰か)の、奴隷になることなのだ

 

 

 

お金のため

嫌われないため

許してもらうため

 

社会のために

子どものために

親のために

誰かのために

 

心からやりたい訳ではないのに

 

 

やってあげる

 

は、

 奴隷になる宣言であり

 

そして

 

自分に対しても、全てに対しても

 

なんたるおこがましい行動なのだろう…

 

 

 

たとえね、嫌なことだって、

自分が本当にやりたいことだったら、やろうよ

(このニュアンス伝わるかしら?)

 

逆にね、嫌じゃないけど(得意なことだったりしてね)、やりたくないことをやるって、なしだよ

 

 

という…

 

 

結局のところ、いつもの話なのでした。

 

 

ま、そもそも。

純粋な欲求なのかそうではないのかを見極めるのは、今の私の目下の練習課題なのですが。

 

お久しぶりのイライラは、自分の純粋欲求探知機の精度上げてね、という、お知らせかも知れない。

 

 

 

 

自由はタイヘン

 

自由は楽しい

 

 

自分のカヌーで自前のオールで。漕ぐも手を止め流されるも、思いのまま

 

それが自由ってことなのだろうなあ

 

 

 

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イッポンでも ニンジン。

 

長女が授業「暮らしの仕事」で収穫した人参

なんだって。貴重!

どうやってたべようかなー

 

 

 

 

ダメ出しも、愛だった。

 

 

お久しぶりの、blogとなりました。

 

非常に幸いなことに、仕事に遊びにいそがしく。

 

学びも大きい毎日です。

 

 

 

昨日から、今日のこと。

 

友人が遊びに来てくれて、トランスフォーメーションゲーム(気になった方、調べてみてね)をしていて、

 

夫の動き(ゲームの動きは現実とピタリ連動している)に、ムカムカと腹を立てダメ出していた、私。

 

友人たちに、夫に期待してダメ出しし続けるなんて、忍耐力あるね!天使だね!

などと言われるも、こんなの(ダメ出しし続けるの)ほとほと嫌だな、と思いました。

 

で、今朝。

 

夫が、ついに本気で、私とは別なパートナーが欲しい!と言い出しました。

(我が家は、婚外恋愛推進中)

ダメ出ししない、信じて応援してくれる新しいパートナーが。

 

 

 

それを聞き、とてもショックだったのです。

 

エンエン泣きました。

 

何がショックだったかというと、期待してダメ出しすることの愛が、全然伝わってなかったのだなと再確認させられたこと。

 

 

 

で、気づいてしまったのです。

 

自分自身にダメ出しする自分のことが疎ましく、

そんなダメ出しするのはやめたい、と思っていたことに。

 

 

それからはまた、エンエン泣きました。

 

ごめんね、

愛に気づかなくて。

 

 

 

それは、まさに、夫にして欲しかったこと。

 

ただ、ダメ出しに耳を傾けて、そう思うんだね、考えてくれてるんだね、って言って欲しかっただけでした。

 

言い方変えろとか、

そんなこと言われるとやる気無くすとか、

そんなことではなくて…

 

 

 

やはり噂どおり、

自分とのパートナーシップが

そのまま鏡にうつしたように、外の(夫との)パートナーシップとしてあらわれているだけなのでした

 

 

 

少しだけ、自分と仲直りした、今日から

 

 

 

どのようなパートナーシップが現実に登場するのか、楽しみです。

夫が、本当に私のこと嫌になるので有れば、それはそれ。

 

とにかく仲直りした本当の自分に、

 

ほんとうは、どうしたいの?

 

を、今までよりもっと、マメに、耳をすませて(心をすませて?)聴いてゆこうと思います。

 

 

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そんなこんなで、夫にも。

 

期待とダメ出しを突っぱねていたのはあなたではなくて、私自身でした、ごめんなさいm(._.)m

 

鎧を脱いで。

 

 

行ったり、少し戻ったり。

季節が少しずつ、冬に入ってきました。

霜の降りた畑を見ると、霜柱を探しては踏み歩いた小学校の通学路を思い出します。

その頃より今の方が、じつにのんびりと、田舎に暮らしているなあなんて思いながら。

 

 

 

さてさて。昨日。

友人から来たメッセージに、何気なくこんなことを返信しました。

 

結婚なんて、してもしなくても良いじゃあないか

好きなひとと触れ合って、およそ存在する全ての感情を体験して

そういうことこそが、生きるってことで、人間に生まれた意味でもあるとおもうよ

 

と。

 

今になって、ジワジワ、自分のことばに自分で感動しています。(笑)

人にアドバイスしたくなるときは、実はそっくりそのまま自分に対するアドバイスになるとはよく言ったものだ…

 

 

 

で、 何故に感動かというと

 

 

 

昨日怒っている時にふと、

「この怒りの感情とも出会いたかったんだなあ、私」

と思ったとき、この先、ネガティヴな感情と出会うことが少し楽しみになった

 

 

ということも、関係しているのかも知れません。

 

 

 

 

 

私たちは

…いいえ、もう、「私は」としておこう、

 

私は

様々な思い込みの鎧を着ていて

 

それは、

女は男を立てなければならない

人に迷惑をかけてはならない

お母さんは子どもの気持ちを受け止めてあげるべき

こまめにお風呂に入り、身体を清潔に保たなければならない

限りあるエネルギーを無駄遣いしてはならない

お金はイザという時のために少しずつでも貯蓄すべき

 

なんていうものから

 

働かざる者食うべからず

 

なんてものまで。

 

 

ベキネバは

さもないと◯◯になる

ということへの怖れから来るもので

 

怖れのパワーは凄まじく、出来ない自分にバツを付けることへ繋がって、自信がなくなることで更に怖れが大きくなるというループな訳なのですが

 

そのループを「不幸のループ」として、それは嫌だからとにかく鎧を脱いでゆこう!なんて、

鎧にさえバツをつけて。

 

 

 

だけど、そんな鎧を着たのは

ネガティヴな感情を体験したくないという目的があったからで

 

確かに、少なくとも少しは、その鎧が、自分を守ってくれていたのです。

 

ベキネバやってると、少なくとも、あまり人に非難されないし。

オマエ、最低だな!!

なんて、あまり言われない。(笑)

(ただし、自分自身から文句を言われる→つまり他人への文句が出て来る、ということは多々ありますが)

 

 

 

 

 

だから、鎧よ今までありがとう、

ひとつまた、脱ぐよ、

 

およそ全ての感情を体験すること

それこそが、いまここに生きてる幸せなのだって気づいてしまったから。

 

 

 

あー

 

 

物心ついた時から

カルマか何だか分からないけれど

自分の怒りに振り回されて時にヘトヘトになっていた私が

 

人を好きになり

 

世界のいろんなモノをを好きになり

 

徐々に怒っている自分を許して

 

そして怒れる自分にさえもに感謝するようになって

 

 

ああ、よかった、

 

 

人生は楽しい。

人生は、安心。

 

 

 

乱文、失礼しました。

 

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一歩、いっぽ。

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません、降板します。

 

blog更新が、随分久しぶりになってしまいました。

 

 

この間いろいろ楽し忙しく、心の面でも楽し忙しく過ごしていました。

 

 

あれから食べ物をいただくことが多く(みなさまblog読んで哀れんでくださっているのかしら…ホントに有難いです…笑)、美味しいお野菜などたっぷり食べて家内全員、ふっくらふくふくしてきました。(笑)

 

 

お金のことも、あまり気にせず暮らしています。

まあ敢えていうならば、「ピンチになっても楽しく切り抜けられる」という設定をそろそろ変えたいなぁと考え中。「清貧思想」(少ないお金やモノで美しく生きる)がけっこう好きなので、もう少しこのままでも良いのかもとも思いつつ…

 

 

そう、良いかなと思いつつ、です。

近頃ワクワクする夢がもうひとつ家を借りることなので、やはりお金さんにもう少し私のとこ訪ねてもらいたいなぁ

 

もうひとつ家を持つことの楽しみについては、またいつかの機会に。

 

 

 

 

 

一昨日、急に思い出したことが有りました。

それは、高校生のころ、部活の先輩に言われた

 

「みあ(小学生〜高校生まではこう呼ばれてた)はハンド部のオアシスだよ」

 

という言葉!

 

 

 

ガーーン!ショック。

何がショックかって、今家の中では私はオアシスどころかビビられて恐れられて気を使われる存在なのです(たぶん。)

 

それなのに、過去にはそんなふうに癒しの存在でいられた時があったなんて!

 

 

いやいや待てよ。っていうかさー、そっちがホントの私じゃないかよー!(泣)

 

 

出したものしまえとか、もうちょっと自分で考えろとか「無能!」とかの小言言ったり

人の揚げ足とるようなこと言ったりとか

 

 

そんなの、やりたくてやってるんじゃないんだよー

本当はやりたくないんだよー

 

 

 

むむ、要は、私は無能でニコニコしてたいのに、旦那が無能の席を取っちゃうからこうなるんだ!(←逆恨み)

 

 

 

よし、とにもかくにも、怒りの投球ピッチャー、降板しよう。

ルーキーは現れるのか???

それとも、他に居なくてやはり私が投げさせられるのか?

 

 

もう、私は野球(國井家)やめても良いから、投げたくないです、この必殺魔球は…

 

國井家自体が野球することを放棄する日もあるのかな

 

 

書いててよく分からなくなってきました、

 

しかもお腹空いてきました。

コロッケ揚げはじめよっと。

 

 

 

 

あ、一応。

野球好きな方、こめんなさい。

野球と私の怒りとは、何ら関係ございません。

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もうちょっとで、大好きな、冬。

 

 

 

「ダダ漏れだからね♡」

 

 

 

改めて、ひとつふたつ過去記事を読んでみると

 

 

あーーあ、こんな事書いちゃって…って、思いますね…

 

 

これは色々、私に対する心配やら批判やらあっても仕方ないなぁ

 

でも、書く事自体が好きなんだから、仕方ないです。

嫌われる勇気、再起動、の心持ち。

思うままやって、嫌われたり好かれたりしていた高校時代のあの私のエッセンスを取り入れるのだ!(思春期には戻れないし戻りたくもないけれど、青春のエッセンスを、ね♡)

 

 

 

 

以前鼻息荒く宣言した「運転辞めます」についてですが、最近どういう訳か車の運転がそこまで嫌ではなくなりました。

 

 

理由のひとつは、誕生日プレゼントにオットがセカオワのCDをくれたので、それを聴いていること、らしい。…単純…。

セカオワ解禁は、私にとってはなかなか勇気のいることでした。でも、ブレーメン(動物殺処分ゼロプロジェクト)は心底素晴らしいし、彼らのやっていること、姿勢には、本当に尊敬の念を抱いています。

 

 

だから、今までちょっとザワッとして聴けなかった類の音楽(Jpop苦手なの…)を聴けるようにさせてくれたセカオワに、感謝です。

 

まさに恋をするって、こういうこと。

今まで苦手だったものを、恋することで自分の中にすんなりと受け入れる。

そーだ、恋の醍醐味って過去記事があったな、

 

 

そしてたったそれだけで運転が楽しくなるなら、好きなCDどんどん買おうっと

CD買うブロックを外すのです(次々増えてもしまう場所ない、お金の無駄、というブロックがあった)

 

 

 

 

話が逸れました、

 

車の運転が以前ほど苦痛でなくなったのには、思うにまだまだ理由が有ります

 

 

もうひとつは、最近やりたいことがやれている感じがしている、ということ。

やりたいことが他に有るのに、送迎なんて!という不満があったことに気がつきました。

やりたいことをやる(主に仕事)時間を自分のために確保してあげれば、ある程度は運転も送迎も楽しいのだな、と。

 

具体的に、やりたいことのために私がしていることは

 

1歳児を保育所の一時預かりに頻繁に投入(お金の心配に加え、「今が可愛い時なのに」思い込みでなかなか頻繁に預けられなかった)

 

そしてオットに子守や家事を頼んで、仕事、遊び!

子どもたちを預けて友人宅へ泊まりに行く、とかね。

最高に楽しい!

 

 

そう、やっぱり、我慢をやめること。

よき母(←そもそもなんでしょうね、ソレ。幻想、思い込み!)をやめること。

恐る恐るですが、徐々に板についてきました。

 

「運転、送迎」の陰に隠れていた、我慢。

 

 

 

オットのお誕生日に書いた手紙のこと、実践されてきている感じがします。

 

そして、オットとの関係も、やっぱり良くなってきたように思います。

少なくとも、オットに対する感謝とか、単純に好きだな〜って気持ちは増えました。笑

 

本当に良かった、下手ながらも(下手すぎて変な方向に振れすぎたり、)感情出す練習はじめて…

 

 

 

 

 

あ、タイトルの

ダダ漏れだからね♡」は、友人の言葉で、最近聞いて嬉しかった言葉。

 

 

実は

我慢していること

嫉妬していること

恨んでいること

 

実は

誰かを好きなこと

感謝していること

 

人って、口に出さなくても、いや、口では別なこと言ってても、実は全部ダダ漏れなんだって

 

そんなことを聞いてしまったら、

なんだか、嬉しい気持ちになりました。

 

どうせダダ漏れならば、

安心して本音を言っていける、と。

 

そして、本音を言えば言うほど信頼されるということも腑に落ちた

本音を言わなければ言わないほど、相手は確実に違和感をキャッチするということも。

 

 

 

 

 

なーーんだ、

 

自分のままで、良いのだ、結局。

 

 

世界は、やっぱり、優しい。

 

 

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そして、世界はこんなに美しい …

 

國井家コント劇場〜死ねメモ事件と今朝のこと〜

 

 

 

実に更新が久しぶりとなってしまいました。

 

この間私はひとつ歳を重ね、また、大きな無謀な夢が叶ったのでした。

 

イキテルッテ、スバラシイ!

 

 

 

 

さてさて、

何やらオットが私をネタにblogを書いて、良い反響だと浮かれているので、くやしいので私も書きます(嘘です)

 

 

 

ある、何でもない夜のこと。

子どもたちを寝かしつけに行くオットに、

 

「今日どうしてもしたい大事な話があるから、1時間だけ、時間取ってくれない?」

と、お願いしました。

 

「いいよ!分かった」

 

そう、いつだって、返事は良いのです、

 

その後、あっという間に、静まり返る國井家…

 

子どもと一緒に寝てしまったオットを起こしにいきます。

 

子ども部屋のドアを開けた瞬間ガバッと起きる、オット。

 

起きてね!

 

と、部屋を立ち去る、私。

 

しかし、またまた静まり返る寝室…

 

待てど暮らせど、オットは降りて来ません(リビングは一階)。

 

 

やはり寝たな!アイツ…!

 

 

「どうしても今日だけは」「1時間だけ、お願い!」って頼んだのに

 

イライラ〜

 

もうこれ以上待つのはイヤだし、イライラしてしまった以上、また起こして話をしたとしても、「大事な話♡」どころではなく、イライラをぶつけて終わってしまう…

 

 

よし!

 

 

メモを取り出し…

 

 

「死ね」と書く私(笑)

 

(何となく平仮名で書きたかったけど、子どもたちが万が一早く起きたら見てしまうので、あえて漢字に)

 

 

机の見えやすいところに置いたなら…

 

 

 

安らかな気持ちで、お休みなさい…☆

 

 

 

次の日の朝。

いつものように、私より先に起きてお弁当を作ってくれているオットに、

 

「おはよう(爽やか)」

と、声を掛ける。

 

 

そしていつもの、日常が、始まるのです。

 

 

 

 

 

 

(笑)

 

 

ザ・引きずらない女と呼んで下さい♪

 

と言ったところで、さらに抵抗がある男の人は沢山いることでしょう…南無 

 

 

 

 

 

 

今日は盛りだくさんですよ、

 

ここからは今朝の國井家劇場のショートコントの話。

 

朝ご飯に次女が作ったジャムサンドを一歳児がちょっとかじって潰してしまった…

 

怒りを爆発させる次女

 

「もーーーー!やめてーーー!いやだ、もう、こんなの、たべたくない!!!」

 

「もーーー!なんでこんなことするの!!!(弟に対して)たべたくない!たべない、もう!新しいのつくって!」

 

などと、同じことを、ずっと、喚き散らかしている。

 

私はせっせと、新しいジャムサンドをつくる。

やばいぞ、幼稚園に間に合わない!

「今、新しいの作ってるよー」

 

「もーーー!なんでこんなことするの!!!!」

 

「大丈夫だよー。今新しいの作ってるよ」

 

「やだー!!なんでぐちゃぐちゃにするの!!!」

 

自分の喚き声で私の声が聞こえない次女に…

 

「人の話をきけっつーーの!今、新しいのできた!」

 

と、ついに怒鳴る私。

 

そこへオットがやってきて私に

 

「そんなこと言わなくていくねー?!」

 

とキレるオット。

 

 

(笑)

 

 

 

みんな、です。

 

みんな、みんな

 

「そんなことやめろ」

「そんなことやめろ」

「そんなことやめろ」

 

 

同じこと、ぐるぐると言い合っている、だけ。(笑)

 

 

さあ、誰が一番はじめに

 

ん?本当は私(俺)は何がしたい?と自問して、それを実践するのでしょうか。

 

誰が最初に「いち抜けた♪」するのか楽しみですね。

 

 

 

さぁーチャンスは、次に誰かがイライラした時…!

 

 

 

 

補足。

因みに、オットに殺意を抱いたことは、いまだかつて、一度もないです。

 悪しからず!◯

 

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きらきら

ゆらゆら